松風寺 本門佛立宗

松風寺について About Shofuji

松風寺について

松風寺は、日蓮聖人(にちれんしょうにん。お祖師さま、高祖大士ともお呼びします)の教えによって法華経(ほけきょう)の信仰を学ぶ「本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)」の寺院です。
そこで松風寺の紹介の前に「本門佛立宗」について簡単に説明し、続いて松風寺の歴史や主な活動に触れ、最後に最近お問い合わせの多い納骨堂についても少しだけご案内させていただきます。

本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)

本門佛立宗は法華経の本門(後半部分)に説かれた究極の「信心」を、日蓮聖人(1222~1282)の教えによって学ぶ宗旨です。歴史の中で様々な教えの解釈が生まれましたが、室町期の日隆聖人(1385~1464)、江戸末期の日扇聖人(1817~1890)によって元の教えに修正され、今日に至ります。
教団としては安政4年(1857)に法華宗の中の改革派グループ(講)として起こり、第二次大戦後の宗教法人令公布を受けて昭和22年に法華宗から独立をしました。
京都市の宥清寺を本山とし、国内に約三百の寺院と海外9か国に24か所の道場を持ち、日々上行所伝の御題目を口唱して、世界の恒久平和と自他の幸福のために努力をしています。

教えの系譜

日蓮聖人の多くの門弟の中で、最も長く随身給仕した日朗師は、鎌倉教団を任された実質的な後継者でした。この日朗師のもとで修行した日像師は、師の日蓮聖人の臨滅の枕頭に呼ばれ、少年ながら帝都(京都)開教を遺言された逸材で、長じて恩師の遺命を実現されます。
この京都へと伝わった法脈から日隆聖人が出られ、日蓮聖人の思想を体系化します。これは後に八品門流と呼ばれ、そこから日扇聖人が出られて江戸期の檀家制度で形骸化した法華信仰を立て直し、本門佛立宗は出発するのです。日蓮聖人の「純粋な教えの法脈」を継ぐのが私たちの誇りです。

本山宥清寺(ゆうせいじ)

日蓮聖人の没後、恩師の遺命を受けて帝都(京都)の弘通(ぐづう。布教のこと)に励む日像師に続き、他の門弟も続々と京都に入っていく中で、京都における日蓮門下の最初の道場建立に成功したのが日弁師でした。日弁師はこの道場を本門寺と名づけ、日蓮聖人がご自身で開眼された御霊像を関東からお移しします。しかし、江戸末期の本門寺は廃寺同然の宥清寺に御宝前を移し、なんとか命脈をたもつ状態でした。そんな由緒ある道場の因縁を知る日扇聖人は、本門佛立宗の根本道場とするために宥清寺獲得に尽力し、明治二年に法華宗から譲り受けます。これが現在の私たちの本山、宥清寺です。
宥清寺護持の日蓮聖人ご開眼の御霊像は、国の重要文化財に指定されています。

本門佛立宗という名前

日蓮聖人が最も嫌われたのは「人の解釈」でした。理由は、仏の言葉に従うのが仏法だからです。法華経の「説の如く修行せよ」という経文を大事にされ、「この御題目の宗旨は佛立宗(仏の立てられた宗旨)と名付けなさい」と教えられた日蓮聖人。その御意(おこころ)を汲み、「法華経本門の教えに基づく仏の立てられた宗旨」という意味の、日蓮聖人が撰ばれた宗名を私たちは名乗らせていただくのです。

松風寺の歴史

私たちのご信心は、京都から全国に拡がりました。その中で、大正6年に広島県の呉市で、失明寸前の眼病(がんびょう)で苦しんでいた日野仁太郎さんが本門佛立宗のご信心で助けられます。喜んだ日野さんは「有難い御題目のご信心を故郷の松山の人にも教えよう」と考えられ、松山に帰って知人に御題目のご信心を勧め始めるのです。 日野さんの努力でご信者は徐々に増え、大正9年には「松山長寿組」が結成されて、日野さんの家を道場に弘通(ぐづう。布教のこと)活動が行われるようになります。やがて信徒の増加で道場が手狭になり、数か所の移転を経て昭和8年に現在地に移り、小さな堂宇を結ぶのです。
今の本堂は昭和40年に竣工しました。当時は市内に高い建物が少なく、お城の近くからもよく見えたそうです。また、新しい時代を見据えたデザインに人々が驚いたと聞きますが、現在も古さを感じず、街の風景に溶けこむ本堂に、先輩方の思いの素晴らしさを感じます。

松風寺の活動

松風寺では年間の行事として、元旦会や春秋の彼岸会、盆回向、除夜法会等の季節ごとの法要を行うほか、日蓮聖人、日隆聖人、日扇聖人への報恩の法要(御会式)等を勤めています。
また、ご信者の家を道場として、ご信心を学ぶ御講(おこう)が毎月地域ごとに開かれています。
福祉面では、ハンセン病の患者さんへの支援活動を昭和30年から続けており、現在も香川県の大島青松園と岡山県の長島愛生園には定期的に訪問をしています。また東日本大震災の復興支援の一環として石巻市の生産者と交流し、年間三回の物産展を続けています。
ほかには音楽を通じた育児支援の場としてリトミックの教室を運営し、ベイビーズとキッズの二つのコースを地域に開放しています。また、俳句の同人会「松風句会」も地道な活動を続けています。

松風寺の納骨堂

ご信者の永の安住の場として、境内には「清涼閣(しょうりょうかく)」と名付けられた納骨堂があります。この納骨堂は遺族がいつでも会いに来れるよう明るい設計で、ご信者の有志によって常に清潔に保たれ、加えて毎朝、本堂での朝参詣に続いて御題目口唱のご回向がなされています。また縁者が絶え、いわゆる「無縁」になったご遺骨も、「松風寺に眠りたい」とここに入られた故人の思いを大事にし、基本的にすべて合祀せずにお祀りしているのも清涼閣の特長です。
葬儀や法事を手軽に勤められるホールもあり、ご信者のご先祖への報恩行をサポートしています。

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